うにっき

なにげなく気付いたことや、「聞いて聞いて」って思ったことを気軽に・好きな時に書きたいと思っています。

勘違いされた使い方、『お客様は神様です』

お客様は神様です

私の小さい頃。テレビで故三波春夫氏が『お客様は神様です』って言われていたのをよく聞いていました。
着物姿で姿勢がよく・満面の笑みをたたえた三波氏は、とても堂々とされていた印象があります。
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お客様は神様です
自分の歌を、芸を「お金を払って」観に来てくださっているお客様には楽しんでもらいたい、それだけのちゃんとした仕事をしなければならない、っていう、「お客様」が「神様」のように舞台が神聖な場所だったんですね。
でも、世間では都合のいいように解釈されている場合が多々あったようです。
それをたまたま、三波春夫氏のオフィシャルサイトを拝見して、考えを新たにしました。

  三波春夫にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズです。三波が言う「お客様」は、商店や飲食店などのお客様のことではないのです。
 しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」と、いう感じ。店員さんは「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」という具合。
 俗に言う“クレーマー”の恰好の言いわけ、言い分になってしまっているようです。元の意味とかけ離れた使われ方ですから私が言う段ではありませんけれど、大体クレーマーたるや、「お客様」と「様」を付けて呼んで貰えるような人たちではないと思います。サービスする側を 見下すような人たちには、様は付かないでしょう。
 三波春夫の舞台を観るために客席に座る方々の姿は、『三波の歌を楽しもう、ショウを観てリフレッシュしよう』と、きちんと聴いてくださった「お客様」だったのです。





本当にその通りですよね。
本当の「お客様」は自分の事を「お」や「様」を付けてなんて呼びません。
引用が長くなりますが、三波氏の言葉も紹介させてもらいます。

「お客様は神様です」という言葉が流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉の真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。(中略)

 私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。

浪花節』…これもよく使われます。
どちらかと言うと「お涙頂戴」の場面で「浪花節やなぁ〜」なんて言います。
浪花節とは…

浪曲ともいう。江戸時代中期以前に説経節や祭文の影響を受け,関西地方に始った語り物で,三味線を伴奏とし,歌う部分と語りの部分に分れ1人で演じる。詞章は講談,物語,史実などから取材する。

ブリタニカ国際大百科事典より。

相互の関係

唄い手はステージを神聖な場所とし、観客はそのステージを心から楽しむためにお金を払ってまで足を運びます。明日からの活力にもなります。
芸術ではお腹が膨れない、とはよく言いますが、それでも心がささくれだった時や寂しい時、反対に楽しい時や嬉しい時にも芸術は寄り添ってくれます。
演者と観客…どちらが上でも下でもないんです。ともに充実した場所を共有しているのです。

まとめ

人と人との関係はとってもあやふやなものです。
いくら常日頃口ではいい事を言っていても、自分のフィールドではない・人の目(知り合いや関係者)の届かない所では態度の変わる人がどれほどいるのでしょう。
よく、『神様が見てはるよ』なんてことも言いましたね、最近はあまり聞かなくなりましたが。
忘れないようにしなくっちゃ。